大判焼きの呼び名はなぜ違う?全国発祥ルーツと改名の謎を解明

大判焼きの呼び名はなぜ違う?全国発祥ルーツと改名の謎を解明

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そもそも、この菓子の歴史的なルーツはどこにあるのだろうか。記録によると、江戸時代中期の安永年間(1770年代)、江戸の神田今川橋付近にあった居酒屋や屋台で売り出されたのが始まりとされる。当時、この地域で売られていたことから「今川焼き」と名付けられたというのが最も有力な説だ。

一部の地域では、戦国武将の今川義元の家紋「赤鳥」に由来するという都市伝説的な説も語られてきた。しかし、歴史研究や日本和菓子協会の記録を見ても、今川義元本人との直接的な因果関係を示す一次資料は存在しない。むしろ、江戸の町人文化が生み出した手軽な甘味として親しまれ、職人が手際よく焼き上げる様子が人気を博したことが全国展開の足がかりとなった。江戸の製菓業が生んだアイデアが、参勤交代や物流の波に乗って全国へ広がっていく過程で、各地の言葉と結びついていったのである。

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小林 直樹

小林 直樹

トレンドリサーチャー

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