太宰と三島「決裂の夜」の真相とは?新資料が暴く昭和文壇の真実

太宰と三島「決裂の夜」の真相とは?新資料が暴く昭和文壇の真実の具体的な内容に迫る! 専門的な視点でまとめました。

二人の確執を語る上で欠かせないのが、文壇の頂点に君臨していた川端康成の存在と、当時の出版業界を取り巻く力学である。芥川賞を渇望し、選考委員だった川端に対して泣き落としとも言える書簡を送りつけた太宰。一方で三島は、その川端に見出され、華々しい推薦を受けて文壇の階段を駆け上がった。

新潮社をはじめとする大手出版社が、戦後の荒廃した社会で圧倒的な支持を集めていた太宰や坂口安吾ら「無頼派」の原稿を奪い合うなか、三島は旧態依然とした文学的ヒエラルキーと大衆的人気の狭間で激しい焦燥に駆られていた。太宰が命を絶った1948年、三島は本格的な文壇デビュー作となる長編の執筆に没頭していたが、その筆先には常に、死してなお文壇を支配し続ける太宰の巨大な影が差していた。

太宰を否定しなければ、自分の文学は始まらない。三島にとって太宰批判は、単なる好悪の問題ではなく、自らの文学的領土を切り拓くための生存闘争だったのだ。

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