『資治通鑑』の作者・司馬光とは?19年かけた執筆理由と史記との違い

『資治通鑑』の作者・司馬光とは?19年かけた執筆理由と史記との違いの真相や最新動向に迫る! わかりやすい言葉でまとめました。

Q1:司馬光と王安石は、個人的にも犬猿の仲だったのですか?
A1:政策上は激しく対立しましたが、人間としては互いの才能と清廉潔白さを深く尊敬し合っていました。手紙のやり取りでも礼を尽くしており、私怨による泥沼の争いではなく、純粋な政治思想と国家観の相違による論争でした。

Q2:司馬光は最終的に政界へ復帰できたのでしょうか?
A2:復帰を果たしました。1085年に神宗が崩御して幼少の哲宗が即位すると、摂政となった宣仁太后に呼び戻され宰相に就任。新法を一挙に廃止する「元祐更化」を断行しましたが、心労と病のため宰相就任からわずか1年余り(1086年)で没しました。

Q3:なぜ『資治通鑑』は毛沢東をはじめ多くの指導者に愛読されたのですか?
A3:理想論にとどまらず、権力闘争の現実、組織の腐敗、人材登用の成否が生々しく実例として書かれているためです。権謀術数や組織マネジメントの教科書として、近現代の指導者たちにも重宝されました。

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