戦争中の天皇の食事とは?国民と同じ配給と麦飯を選んだ驚きの真相
1945年(昭和20年)に入ると米軍による本土空襲が激化し、昭和天皇と香淳皇后は皇居内に急造された鉄筋コンクリート造の防空シェルター「御文庫」へと住まいを移しました。地下深く湿気が立ち込める薄暗い空間で、過酷な戦時下の食生活が続けられます。
この時期の主食は、米の消費を極力抑える「節米」のため、大麦にさらに大豆や粟(あわ)を混ぜ込んだ雑穀飯、あるいは大根の葉やサツマイモを細かく刻んで煮込んだ雑炊や雑穀すいとんが頻繁に供されました。一握りの小麦粉を水で溶いて団子状にしたすいとんは、当時の一般家庭で食べられていた代用食と何ら変わりません。
おかずも極限まで切り詰められ、配給で届くわずかな野菜の皮や芯まで余すところなく活用されました。時には皇居内の吹上御苑の空き地を開墾して作られたサツマイモやカボチャ、さらには敷地内に自生する野草が食卓に上ることも日常茶飯事でした。御文庫での食事風景は、まさに銃後の国民が耐え抜いた過酷な生活そのものだったのです。