岩倉使節団の隠された目的とは?日本近代化を決めた視察の真相
使節団の記録係を務めた久米邦武によって編纂された『米欧回覧実記』には、使節団が訪れた12カ国の詳細な記録が克明に残されている。訪問先は造船所、製鉄所、紡績工場、鉄道、学校、病院、議会、さらには刑務所や貧民街にまで及んだ。彼らはただ華やかな大都市を観光したのではなく、産業革命が生み出した驚異的な生産力と、その裏に潜む労働問題や貧富の格差までをも冷静な観察眼で見つめていた。
なかでも副使の木戸孝允は、イギリスをはじめとする立憲君主制の仕組みに強い関心を寄せ、法に基づく統治の必要性を痛感した。また、後進国でありながら急速に軍事大国へと成長していたプロイセン(ドイツ)において、鉄血宰相ビスマルクから「国際法は強国同士の理屈であり、小国を守る力にはならない」という現実主義の洗礼を受けたことは、一行の思想に決定的な影響を与えた。