五代目山口組を率いた渡辺芳則の知られざる実像と組織拡大の全貌
神戸の港湾を足場に急拡大した組織において、渡辺の存在感は際立っていた。初代山健組組長・山本健一の薫陶を一身に受け、行動隊長として数々の修羅場をくぐり抜けた青年期。武力行使を辞さない徹底した姿勢は、瞬く間に組織内外に知れ渡ることとなる。
田岡一雄の急逝と、それに続く山本健一の病死。カリスマを失った巨艦は、史上最大の抗争劇「山一抗争」へと突入した。渡辺率いる山健組は、組織の屋台骨として最前線で苛烈な攻防を展開。敵対勢力を圧倒する実行力を見せつけたことで、渡辺は一気に次代のリーダーとしての求心力を確立していく。血の粛清と権謀術数の果てに掴み取った五代目襲名。それは、暴力団社会が近代的な企業型組織へと変貌を遂げるプロローグでもあった。