ウイグル七・五事件の真相と背景|流血の騒乱が変えた監視社会の現在
事件発生直後のウルムチ市内は、まさに戦場のような様相を呈しました。暴動は夜間にかけて市内の広範囲に広がり、バスが焼き払われ、漢族住民が経営する店舗や住居が次々と襲撃を受けました。さらに数日後には、自衛や報復を目論む漢族の市民が棍棒や刃物を手にして集団で街頭へ繰り出し、報復の応酬が繰り広げられるという最悪の治安崩壊状態に陥ったのです。
被害の実態について、中国政府の公式発表では死者197人(大半が漢族住民)、負傷者1,721人、焼損車両627台と公表されています。中国国営メディアは、罪のない一般市民が無残に殺傷されたテロ行為であると強く主張し、破壊された街並みや負傷者の映像を連日大々的に報道しました。
一方で、世界ウイグル会議をはじめとする在外のウイグル人組織側は、武装警察によるデモ隊への無差別発砲や、事件後数週間にわたって行われた大規模な一斉摘発・夜間捜索により、数千人規模のウイグル族が拘束・失踪したと主張しています。独立した国際機関による現地調査が許可されなかったため、犠牲者の総数や死傷の内訳には双方の主張に大きな隔たりが残されたままとなっています。