死刑より残酷だった島流しの実態!教科書が明かさない流刑の真実
一度島へ送られた罪人にとって、故郷へ生きて戻る唯一の希望は「赦免(しゃめん)」、すなわち恩赦の発令であった。将軍の代替わり、世継ぎの誕生、あるいは大規模な慶事や災異に際して、幕府や朝廷から減刑や釈放の命令が下された。しかし、その知らせが絶海の配流地に届くまでには数ヶ月から時に年単位の時間を要した。
恩赦の対象となるには配所での素行が極めて良好である必要があり、島役人の評価が決定的な鍵を握っていた。晴れて赦免状が届いたとしても、本土へ戻るための渡航費用は自弁が原則であり、現地で困窮しきった流刑者は赦免されながらも島を出られないという残酷な現実に直面した。さらに、奇跡的に都や江戸へ帰り着いたとしても、すでに家族は散り散りになり、生家の痕跡すら消え失せているケースも珍しくなかった。流刑がもたらす傷痕は、刑期を終えた後も消えることはなかった。