人はなぜ深淵に惹かれるのか?傑作心理サスペンスが暴く人間の本性
近年の日本映画で、人間の多面性と恐ろしさを多層構造で見事に描き切ったのが映画『怪物』だ。一つの事件を巡り、母親、教師、子どもの視点が入れ替わるごとに、観客が見ていた「事実」は音を立てて崩れ去る。誰かの視点では凶悪な悪人に見える人物が、別の角度からは不器用な犠牲者として浮かび上がる。
本作が暴き出したのは、悪意そのものというよりは、誰もが無自覚に他者に貼り付ける「怪物」というレッテル、すなわち社会的なタブーや偏見の暴力性だ。善悪の境界線を安易に引くことの危うさを提示し、観客自身が抱く無意識の加害性に光を当てた点において、心理劇の到達点と言っていい。