秋山真之の功績と壮絶な最期|名参謀の勝因と晩年の宗教・子孫の現在
宗教的な思索を深める一方、真之の肉体は長年の極度の過労と過酷な修行によって限界を迎えていました。1917年(大正6年)、中将に昇進した直後に体調を崩して倒れ、軍務の第一線を退くことになります。
真之の命を奪った直接の死因は「盲腸炎(虫垂炎)の悪化による急性腹膜炎」でした。現代であれば早期の手術や抗生剤の投与で治療可能な病気ですが、当時は適切な処置が遅れ、炎症が腹腔全体へ広がって重篤化してしまいました。
療養のため、親交の深かった実業家・山下亀三郎(山下汽船創業者)の別邸であった神奈川県小田原の「対潮閣」に身を寄せていましたが、病状は好転せず、1918年(大正7年)2月4日、49歳という若さで帰らぬ人となりました。臨終の際、真之は静かに目を閉じ、激動の生涯に幕を下ろしました。