三菱合資会社の正体とは?財閥解体の真相と現代へ受け継がれた巨大な源流
第二次世界大戦の終結は、盤石を誇った巨大組織に突如として終焉をもたらしました。1945年秋、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は日本経済の民主化を掲げ、財閥解体指令を下します。
GHQが財閥解体を強行した理由は、三井や三菱といった巨大財閥が日本経済を独占支配し、軍部と結託して侵略戦争を経済面から支えた「軍国主義の温床」であると断定したためです。特にゼロ戦や戦艦武蔵などを製造した三菱は、日本の軍需生産の中核と見なされ、最も厳しい解体対象となりました。
この未曾有の事態に対し、病床にあった第4代総帥・岩崎小弥太は「国策に協力してベストを尽くしたのであり、恥じるべきことは何もない」とGHQの主張に毅然と反論したと伝えられています。しかし解体の流れを止めることはできず、小弥太は1945年12月に失意の中で逝去しました。
翌1946年、持株会社整理委員会の手によって三菱財閥解体が本格化。合資会社から改称していた三菱本社は正式に解散され、岩崎家の保有株式はすべて没収・公開されました。さらに三菱商事は100社以上、三菱重工業は3社へとバラバラに解体され、半世紀以上にわたって君臨した司令塔は完全に消滅したのです。