野田聖子の出産と息子の現在――50歳での決断が変えた日本の政治
野田聖子氏が歩んだ不妊治療の道のりは、壮絶という言葉すら生ぬるい。40代から始めた治療では、14回にも及ぶ体外受精の失敗、度重なる流産の悲痛を味わった。自身の卵子による妊娠が生物学的な限界を迎えたとき、彼女が下した決断が米国での「卵子提供」だった。
当時、日本国内では第三者からの卵子提供に関する明確な法整備が存在せず、倫理的な観点から激しいバッシングが巻き起こった。「エゴではないか」「命の選別ではないか」という冷淡な視線。それに対し、彼女は雑誌『文藝春秋』をはじめとする各メディアで自らの選択と苦悶の過程を赤裸々に明かした。そこにあったのは、世間体のために事実を糊塗する政治家の姿ではなく、命を授かりたい一心で血を流しながら決断を下した一人の女性の剥き出しの覚悟だった。