龍馬暗殺の黒幕は新選組か?最新史料が暴く宿敵の知られざる真実
これほど狭い京都の市街地を拠点としながら、龍馬と新選組の隊士たちが白昼堂々と斬り結んだ記録は驚くほど残されていない。元治元年(1864年)の池田屋事件の際、龍馬は京都にいながら難を逃れ、慶応2年(1866年)の寺田屋事件で龍馬を取り囲んだのは新選組ではなく伏見奉行所の捕吏たちだった。
新選組の監察方・山崎烝らは徹底した諜報網を敷き、薩長を結ぶ危険人物として龍馬の潜伏先を血眼で追っていた。だが龍馬は、薩摩藩邸や懇意の町家を転々と移り、常に追っ手の半歩先をすり抜けた。両者が交差したのは、刀を交える白兵戦ではなく、京都の街路をチェス盤に見立てた息詰まる情報戦の舞台だった。油小路の変で新選組が伊東甲子太郎ら御陵衛士を壊滅させたのも近江屋事件のわずか3日後であり、京の治安と暗殺の連鎖はまさに沸点に達していた。