戦国屈指の美女「だし」の壮絶な最期|荒木村重の逃亡と信長の粛清

戦国屈指の美女「だし」の壮絶な最期|荒木村重の逃亡と信長の粛清の見逃せないポイントをわかりやすく整理しました。

六条河原で一族が根絶やしにされる中、奇跡的に生き延びた一筋の血脈がありました。当時まだ生後数ヶ月の乳児だった荒木村重とだしの息子(幼名・岩松)です。

処刑の前夜、忠義に厚い乳母の手によって密かに有岡城から連れ出された赤子は、京都の石山本願寺や親族の庇護のもとで母方の姓を名乗り、成長しました。この赤子こそが、後に江戸初期を代表する天才絵師として歴史に名を刻む岩佐又兵衛勝以(いわさ またべえ かつもち)です。

又兵衛は「浮世絵の開祖」とも称され、卓越した画力と独特の人物描写で徳川将軍家や福井藩主・松平家に重用されました。彼の描いた『山中常盤物語絵巻』などの作品に見られる血生臭い復讐劇や劇的な感情表現には、幼少期に奪われた母・だしの面影と一族惨殺のトラウマが色濃く反映されていると美術史の分野でも広く指摘されています。

荒木村重自身は信長の死後に茶人「荒木道糞(後に道薫)」として千利休らと交流し生き永らえましたが、だしの産んだ血脈は岩佐又兵衛を通じて後世に受け継がれました。又兵衛の子孫は絵師や武士として家系を維持し、その系図と遺伝子は数百年を経た現在にも確かに息づいています。

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