木暮武彦がレベッカを電撃脱退した真相とNokkoの絆!現在の活動全貌
1984年4月にソニーのFITZBEATレーベルから華々しくメジャーデビューを飾ったレベッカでしたが、その航海はすぐに暗雲が立ち込めることになります。デビューからわずか数か月後の1985年1月、木暮武彦はドラムの小沼達也とともにバンドを電撃脱退しました。結成の父でありリーダーであった木暮がなぜ突如として身を引いたのか、その核心にはプロデュース方針をめぐる音楽性の乖離がありました。
レコード会社や制作プロデューサー陣は、当時世界的なトレンドとなっていたシンセサイザー多用のダンスポップ路線をレベッカに求めました。キーボードの土橋安騎夫が持ち込む洗練された打ち込みサウンドやポップなメロディがヒットへの近道と判断されたのです。しかし、生々しいギターリフと泥臭いアメリカン・ロックを信条とする木暮にとって、自身のギターが装飾的な役割へと追いやられるシンセ主導のアンサンブルは受け入れがたい妥協でした。
「自分たちが本当に鳴らしたいロックとは何か」という葛藤の末、木暮はバンドの主導権争いで泥沼化する前に自ら身を引く道を選びます。木暮の脱退後、土橋安騎夫が2代目リーダーに就任したレベッカは、1985年10月に発表した名曲『フレンズ』で社会現象的な大ブレイクを果たします。この『フレンズ』のレコーディングに木暮武彦は参加していませんが、木暮が初期に築き上げたアグレッシブなバンドスピリットとNOKKOのボーカルスタイルが開花の確固たる礎になっていたことは紛れもない事実です。