名将の知略が高校野球を変える――智辯和歌山・中谷仁監督が実践する「球数制限と低反発バット時代」の超・合理主義
彼の指導者としてのルーツを辿る上で、プロ野球選手時代の過酷な経験を避けて通ることはできない。1997年、ドラフト1位で阪神タイガースに入団しながらも、突発的な事故による左眼の傷という大きな苦難に見舞われた。一時は視力の低下によりプレー続行すら危ぶまれる絶望的な状況に直面したが、彼は諦めなかった。
楽天、巨人へと移籍を繰り返しながら、過酷なリハビリと絶え間ない工夫を重ねてグラウンドに立ち続けた。この時に養われたのが、相手投手の微細な癖や捕手目線での配球の意図を見抜く、常人離れした観察眼である。自身が味わった挫折と痛みの記憶は、いま、怪我に悩む高校生たちの心によりそい、身体の限界を冷静に見極める指導眼として生きている。