キングダム廉頗の史実と凄絶な最期!信との因縁や再登場の謎に迫る
史実における廉頗の足跡を辿ると、漫画以上のドラマチックな苦悩と葛藤が浮かび上がる。司馬遷の『史記』廉頗藺相如列伝に刻まれた彼の晩年は、決して栄光だけに彩られたものではなかった。
長平の戦いにおいて秦の白起と対峙した際、趙の孝成王は廉頗の持久戦策を焦り、彼を更迭して若き趙括を起用。これが趙の大敗と四十万の坑殺という悲劇を招いた。その後、廉頗は燕国軍を打ち破り再び存在感を示したものの、悼襄王の即位に伴い職を追われ、激怒した廉頗は後任の楽乗を攻撃して魏の首都・大梁へ亡命する。
しかし魏国でも全幅の信頼を得られず、軍権を与えられることはなかった。時を同じくして秦の攻勢に苦しむ趙国では「やはり廉頗が必要だ」との声が高まり、悼襄王は使者を遣わして廉頗の健康状態を確かめさせたという。廉頗は使者の前で一斗の飯と十斤の肉を平らげ、鎧に飛び乗って現役であることをアピールした。だが、政治的ライバルである郭開の買収を受けた使者は「廉頗将軍はまだお元気ですが、私とお会いしているわずかな間に三度も便所に立ちました」と偽りの報告を上げる。これにより、趙への帰還の道は永久に閉ざされた。
失意の廉頗を引き取ったのは南の大国・楚であった。だが、楚の寿春にあっても彼の心は常に故国と共にあったとされる。「余は趙の兵を率いて戦いたい」――そう漏らし続けた老将は、ついに失意のうちに寿春でその生涯を閉じた。武功に満ちた前半生とは対照的に、政治的意図に翻弄された寂しい最期であった。