将門塚の祟りは本当か?大手町の一等地で語り継がれる怪異の真相

将門塚の祟りは本当か?大手町の一等地で語り継がれる怪異の真相の重要なポイントについて、分かりやすい解説を取りまとめてご紹介します。

将門塚を語る上で避けて通れないのが、塚を損壊・撤去しようとした際に起きた不可解な死亡事故の連鎖です。その中でも特に著名な事例が、大蔵省(現・財務省)の仮庁舎建設時の悲劇と、終戦直後のGHQによる事故です。

1923年(大正12年)の関東大震災で大蔵省の庁舎が全焼した際、跡地利用のため首塚の古墳を崩し、仮庁舎を建設しました。すると直後から、大蔵大臣の早速整爾が急死したのを皮切りに、営繕管財局長や工事関係者など、省内の要職幹部ら計14名が相次いで病死・変死する事態が発生。省内では「将門公の祟りではないか」とパニックになり、1928年(昭和3年)に仮庁舎は取り壊され、鎮魂の慰霊碑が建立されることとなりました。

さらに第二次世界大戦後の1946年(昭和21年)、大手町一帯を接収したGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)が、モータープール(駐車場)造成のために将門塚の撤去工事に着手しました。しかし、ブルドーザーで塚を整地しようとした瞬間、重機が突如として横転。米軍兵士の運転手が下敷きとなって即死しました。不可解な事故の発生と地元関係者による必死の陳情を受け、GHQも計画を白紙撤回。塚の撤去を取りやめたという記録が残されています。

近代化を進める国家機関や強大な権力を持った占領軍でさえ、塚に手を触れることだけは阻まれたという史実が、現代にまで伝わる畏怖の決定打となっています。

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