継体天皇の真陵か?今城塚古墳の謎と宮内庁非治定の真相【徹底検証】
今城塚古墳が位置する淀川流域は、古代日本において瀬戸内海とヤマト王権の中枢、さらには北陸や東海を結ぶ水上交通の超重要拠点でした。越前(福井県)や近江(滋賀県)に勢力基盤を持ち、大和盆地に入るまでに長い年月を費やした継体天皇にとって、三島平野(現在の高槻市・茨木市周辺)を本拠地と定めた地政学的理由は極めて明確です。
発掘調査では、1596年の伏見甲斐庄地震(天正伏見地震)による地滑りで崩落した埋葬施設から、驚くべき証拠が姿を現しました。それが、3種類の石棺片の発見です。
出土した石棺には、熊本県宇土半島産の阿蘇溶結凝灰岩(ピンク色の石材)、兵庫県高砂市産の播磨竜山石、そして奈良県・大阪府境の二上山産凝灰岩が使用されていました。遠隔地から重量級の最高級石材を取り寄せる権力と流通網を持っていた人物は、当時の日本列島において大王(継体天皇)をおいて他に存在しません。