国禁を破り海を渡った男・新島襄の命がけの脱国と同志社創設秘話
岩倉使節団の通訳としてヨーロッパ諸国の教育制度を視察した新島は、帰国後、本格的な学校設立運動に乗り出す。しかし、明治維新の混乱が冷めやらぬ京都での学校設立は、想像を絶する困難の連続だった。千年の都として仏教勢力が強い京都において、キリスト教主義を掲げる学校を作ることに対する反発は凄まじかった。
地元有力者や寺社からの猛烈な反対運動にさらされながらも、彼は一歩も引かなかった。政界や財界の指導者たちを粘り強く説得し、1875年、ついに同志社英学校を開校する。これが現在の同志社大学へと繋がる、小さくも力強い第一歩であった。