東京や埼玉が海の底?縄文海進地図で知るあなたの街の古代海岸線
「まさか日比谷公園や銀座の地下深くに、古代の砂浜が眠っているとは」——都内の土木工事現場を訪れると、地質調査の専門家からそんな言葉が漏れる。縄文時代の最高潮期、現代の東京湾ははるか内陸深くまで貫入していた。いわゆる「奥東京湾」と呼ばれる広大な内湾だ。
地図を開いてみよう。現在の山手線の東側、つまり秋葉原、上野、錦糸町、新橋といった低地エリアはほぼ完全に水没している。さらに驚くべきは埼玉県の「当時の海岸線」だ。川口や草加、越谷を経て、埼玉県の栗橋や藤岡付近、果ては栃木県境付近まで海が入り込んでいた。埼玉県大宮市街地の東側に広がる見沼田んぼ周辺は、まさに波静かな入江だったわけだ。武蔵野台地の東端にあたる高輪台地や本郷台地、上野高台などは、海へ突き出た岬のような地形を形成していた。都市の地名に「島」や「橋」、「津」が付く場所が多いのは、この縄文の地勢と無関係ではない。