稲盛和夫の奇跡|なぜJalを再建できたのか?心と経営哲学の真髄

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稲盛和夫氏の経営者としての歩みは、決して順風満帆なスタートではありませんでした。1932年に鹿児島市で生まれ、大学卒業後に就職した京都の碍子(がいし)メーカー「松風工業」は、給料の遅配が続く倒産寸前の赤字企業でした。同期が次々と辞めていく過酷な環境のなか、稲盛氏は愚痴をこぼすのをやめ、研究室に寝泊まりしてファインセラミックスの研究に没頭します。この「極限の没頭」こそが、のちのブレイクスルーを生む原体験となりました。

1959年、わずか27歳で仲間7人とともに資本金300万円で京都セラミック(現・京セラ)を設立。技術力だけでなく、「全従業員の物心両面の幸福を追求すると同時に、人類・社会の進歩発展に貢献すること」を会社の目的に据え、世界的な総合電子部品メーカーへと育て上げました。

さらに52歳のとき、通信自由化の流れを受けて国営独占の電電公社(現NTT)に挑むべく第二電電(DDI、現KDDI)の創業を決意します。「動機善なりや、私心なかりしか」と半年間自問自答を繰り返した末の挑戦は、周囲の無謀という声を覆し、日本の通信料金引き下げと巨大通信キャリアの誕生という偉業につながりました。著書『成功への情熱』にも描かれている通り、純粋な情熱と高い倫理観が事業を成功へ導いた典型的な実例です。

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