丙午生まれを巡る迷信の正体とは?出生率激減の真相と運勢の全貌
なぜこれほどまでに不気味な俗説が社会を支配したのか。民俗学の研究によれば、その源流は江戸時代初期の悲劇的な事件に端を発している。
恋人に会いたい一心で放火を試み、火刑に処されたとされる少女「八百屋お七」。この事件を題材に、江戸の流行作家・井原西鶴が浮世草子『好色五人女』を著したことで、物語は決定的な広がりを見せた。浄瑠璃や歌舞伎の演目として繰り返し上演される過程で、「お七は丙午生まれの激しい気性の持ち主だった」という脚色が後付けされ、人々の記憶に刷り込まれていったのだ。
国立国会図書館に収蔵されている江戸時代の地誌や雑記を検証しても、初期には単なる火難の戒めだったものが、時代の経過とともに女性への理不尽な偏見へと変容していった足跡が確認できる。虚構のエンターテインメントが民間信仰と結びつき、何世代にもわたって世間を縛り続ける呪縛となった。