白地に赤の真相とは?日の丸が辿った知られざる歴代変遷の全貌
徳川幕府が倒れ、中央集権国家の建設を急ぐ明治政府にとっても、対外的な国家シンボルの確立は急務だった。西洋諸国と対等の条約を結び、万国公法に基づく国際秩序に参入するためには、万人が一目で識別できる国旗が不可欠だったからである。
明治3年(1870年)1月27日、明治政府は太政官布告第57号として「商船規則第57号」を発布した。ここにおいて初めて、日本の商船が掲げるべき旗としての規格が厳密に定められた。白布の縦横比を7対10とし、日章(赤い円)の直径を縦の5分の3、さらに日章の中心を旗竿側に100分の1だけ寄せるという、極めて緻密な設計である。
この太政官布告こそが、日本近代史における国旗制度化の決定的な画期となった。その後、陸軍御旗(十六条旭日旗)や海軍御旗の制定が続き、軍事・商業・外交の各領域で日章旗が「大日本帝国」を象徴する旗として急速に定着していくこととなった。