【2026最新】巨人永久欠番全6名の一覧と理由!松井秀喜55番の真相の要点や背景を専門的かつ分かりやすくまとめました。全体像を一目で把握できます。
読売ジャイアンツが公式に制定している永久欠番は以下の6つです。いずれも日本球界の礎を築いたレジェンドたちであり、制定された背景には輝かしい大記録だけでなく、激動の時代背景も深く関わっています。
背番号選手名ポジション / 主な実績制定年月日主な制定理由1王貞治一塁手
通算868本塁打(世界記録)1989年3月16日前人未到の世界記録樹立とV9への多大な貢献。引退および監督退任を経て正式制定。3長嶋茂雄三塁手
首位打者6回、MVP5回1974年11月21日「ミスタープロ野球」として巨人の黄金期を牽引。現役引退と同時に即座に指定。4黒沢俊夫外野手
戦前・戦後の主力打者1947年7月9日現役選手として在籍中の1947年、腸チフスにより33歳で急逝。その死を悼み制定。14沢村栄治投手
ノーヒットノーラン3回1947年7月9日巨人軍黎明期の大エース。3度の兵役の末に戦死。日本プロ野球史上初の永久欠番。16川上哲治一塁手・監督
首位打者5回、監督V91965年3月28日「打撃の神様」としての個人成績と、監督として前人未到のV9へと導いた不滅の功績。34金田正一投手
通算400勝、4490奪三振1970年4月2日日本記録となる通算400勝を達成。他球団(国鉄)出身者として唯一の指定。
沢村栄治の背番号14と黒沢俊夫の背番号4は、1947年に日本プロ野球で初めて誕生した永久欠番です。沢村は伝説の剛速球投手として巨人の礎を築きながらも太平洋戦争で戦死。黒沢は戦後の混乱期に主軸としてチームを支えながらシーズン中に病に倒れました。球団は両名の無念と功績を永遠に讃えるため、日本球界初の欠番指定を決断しました。
昭和の黄金期には、川上哲治の背番号16、金田正一の背番号34、そして長嶋茂雄の背番号3が相次いで制定。さらに平成元年の1989年、国民栄誉賞第1号である王貞治の背番号1が加わり、現在の「6つの永久欠番」が完成しました。
井上 凛
シニアコンテンツプロデューサー
心身ともに健康で持続可能なライフスタイルをテーマに、最新のウェルネストレンドを発信中。